あしかがフラワーパークの藤の花状況から今の日本を懸念する
毎年帰ってくるように訪れるあしかがフラワーパークだが、今年は4月の急激な気温上昇により10日も早く咲き始めたらしく昨日は既に咲き終えた状況だった。ゆえにゴールデンウィーク後半の来園はあまりお勧めしない。
それでも中国や韓国からの団体客は半分茶色になった藤の花を引っ張り顔にくっ付けパシャ!
混雑の中、車椅子の方の進行を邪魔してさらに後ろが詰まっているのに関係なくパシャ!
すみませーん、と片言で目の前の通路を塞ぎ記念撮影をするも慣れない一眼レフになかなかピントがあわず暫く待たされパシャ!
なんともこの大陸の方々、モラルを責められるたびに開口一番「戦後復興時の日本人と変わらないではないか!」と逆ギレするらしいが日本人の昔はこんなではない。いや、なかったはずだ。少なくとも他人を敬ったり言葉なき人に対しての気遣いのできる美しい人種だ。
ところが昨今そんな日本も変わってきた。モラルの欠如や秩序が乱れ各所で取り上げらたエピソードでそれ自体がテレビのネタとして番組になるくらいだ。
そもそも現代人を社会に送り出した我々親世代がバブル時代をくぐり抜け、そのヒエラルキーは生き方や尊敬できる人かよりも、どのくらいの経済力があるか、またどのくらいオーディエンスに対してそれらしく寄り添う正論をかませるかで判断されてきた上っ面世代に立派な子供など育てられる訳がないと思っている。
そんな我々が気がつけば時代を牽引し、むしろこれからの時代をを担う子供たちにとっては良い子で冷ややかな傍観世代とならざるをえなかったと言っても過言ではない。
そして我々世代は、若年期に金で人を判断することを見聞きし、元々モラルやアイデンティティーなどを無視して時代の波に流されてしまった人が、少なからず生き方を学ぶ大事な時期にどれだけの仲間とそれを肴に酒を呑み交わし、自分らしさや表現力を鍛えた記憶があるのだろうか。
昨今の政治、教育等で何か問題が発生するとオーディエンスを後ろ手に正義を振りかざした一部の人間が特別や異例もあっていい人間的なグレーゾーンを排除し、温もりのないごもっともなルールを作り上げた結果、会社をはじめ公共機関は今や窮屈なルールでがんじがらめになってしまったではないか、それを金融機関ではコンプライアンスなどとそれらしく飾り付けたりして・・・
これも人間味溢れる思いやりやアイデンティティーを普段からぶつけ語りあう事を避けた結果、世の中はこうなってしまった。
今日本人は外国には「おもてなし日本」で認知されているが実情は一部の事。
このアジア人の来訪を良薬としてもう一度個々の考え方を表現する力、また相手の顔色を伺いながらバランスある意見をぶつけ合ったり、さまざまな人の置かれた立場を理解する力、また伝える力が必要とされる時期に来ているのではないだろうか。